別に天下を取ろうとか、そんな気があるわけではありませんが、「井の中の蛙」のままではいたくありません。でも、それであれば小さな井戸の中で生きていけるかもしれないけれど、「茹でガエル」にはなりたくないと、かなり危機感を持ってそのように考えています。
「茹でガエル理論」とか言うようですが、環境の変化に対応できないというか、気が付かないでいるうちに茹で上がって死んでしまうことを比喩として言い表したようです。
私が身を置いている建築設計分野も、今まさにその状態に置かれているような気がしてなりません。
「今」がどういう状況かと考えると、いろいろな見方があるので一概にいうことはできないかもしれませんが、とりあえず山田流の整理ということでご理解いただけると幸いです。
建築設計分野は、次のようなことに直面しています。ただし順不同です。
1)人口減少に伴って、建築に対するニーズが変わってきています。
それは新築という行為から「今あるものを使いこなす」ことへの対応が求めれらているというこ
とです。
単なる「リノベーションによる再生」ではありません。
2)多くの分野がそのようですが、建築生産分野(設計や施工、あるいはメンテナンス分野)でも深
刻な人手不足状態です。
3)IT技術の高度化やAIの進化により、設計や施工の方法が激変します。
例えばBIMの導入を「まだ早い」とか「高いんでしょ」とか「うちのような小規模事務所では」
などという言い訳を言っている場合ではありません。
4)価値観の多様化や、国際交流をはじめとした多文化共生の考え方が共有されていくことと重なる
ように、伝統的とか標準的というような家族像が一般化されなくなってきています。
こんなこと書くとよくないかもしれませんが、伝統的とか標準的にとらえる家族像は、我が国の
歴史から見るとそんなに古くからあるわけではなさそうです。
5)我が国においては戦後の、都市は成長し拡大するということを前提に作られた約束事(法律や制
度)が存在基盤を失う方向にあります。
6)SDG'sに代表されるように、国際的に持続可能な社会づくりに取り組んでいかなければならず、
建築設計分野も無縁ではいられません。
7)生活の収入を得る手段が就職先の企業からという1か所依存型から、時間帯や曜日によっては自
営ないしは様々な社会活動と連携させた事業からの収入という組み合わせ型(ハイ・ブリッド
型)の選択も可能という社会環境に変容していく。
8)その他
こうしたことから考えると、私たちが「普通」に考えてきた「建築」そのものが変わらざるを得ないのではないかと最近思います。それには建築の意味や役割、あるいはその担い手がどういった人であるべきかもふくめた「再定義」が必要ではないかと思うところです。
長くなってしまいました。
皆様のご意見をお聞かせいただけたら幸いです。
marukomex.jp@nifty.com
追伸) 下の写真は、私が住んでいる団地から採ったイチョウの葉です。それを水でざぶざぶと洗って、ざるで水を切っているところです。
イチョウの葉ってなかなか乾燥しないんですね。
数年前に、同じく団地に生えていたドクダミを採取・乾燥させてドクダミ茶として、煮出し方式で仕事場で飲んでいます。
今年はドクダミの葉を例年以上に採りましたが、合わせてイチョウの葉も採りました。それらを程よくブレンドして(テキトーに混ぜ合わせて)「ドクチョウ茶」として飲んでみようかと企んでいるところです。